NieR:Automata 第三者であること
僕が綴ってきたニーアオートマタ、並びにその前作の考察において、無意味な事など何も無かったのだと熱烈に信じている…が、実際には誰にも相手をして貰えなかったり、そもそもそんな小学生の作文じみた「○○みたいやなぁ」を求めている人間がそんなにいなかったりする。
僕は僕と同じ体験(同じゲームをプレイし、沢山の感情を得たという意味で)をしたユーザーのプレイ中の行動や感情を知りたくてしょうがない。だから、たとえちっぽけで本編に絡む事は絶対にないであろう発見や、この場面で思わずタオルを目に当ててしまっただとか、そういったことをぽつぽつと呟くブログやツイートを馬鹿の様に漁ってきた。
1周目、初見からデータを消してから2週目の人、前作未プレイの人、全てのユーザーが楽しめるのなら、全てのユーザーが同じことを感じ取るのか…それはまったく違う話だろう。たった一つの小さな発見で作品に対しての見方が180度変わるなんてザラにあるし、そういった体験を実際に何度もしている。ミスリードなんかに関しては前作未履修の方が引っかからずに真意を突いてしまったりする。僕なんて「あれっ、人類は既に…"まぁいいか"」でプレイを始めている。これは流石に阿呆。
このゲームの特徴の一つは、前作を履修していなくても楽しめるがしていればより楽しめるという事だ。100%楽しみたいか、120%楽しみたいか。それ以上を求める人は短編小説を買ったり、資料集を買ったり、挙句の果てにはDODをプレイし始めたりするのだろう。DODから追い続けている人や、逆にDODの為にニーアシリーズを追う人も少なからず存在するだろう…というか、もしかしてそっちの方が多いかもしれない。(DODを知らない方はドラッグオンドラグーンで検索してくださいね)
そんな全ての人…文字通りこの作品に関わる全ての人間である。そういった人達の感想が違うというのは僕が人間という存在があって良かったと思う事の一つ、それもかなりの上位に入る。
僕は今、プレイ当時(惰性でこんな時期になってしまったが、4ヶ月前にトロフィーコンプリートしている)のメモを片手にトイレの中でこの文字列の続きを考えている。単に下痢に悩まされているだけ、だが。詰まるところ読みづらい文章でも許して欲しいという免罪符である。お腹がかなり痛い。惰性と言ったが集中力が著しく足りないのが原因でも間違いではないと思う。トイレの中のような手持ち無沙汰な時しかこういった事が出来ないというのは。
前置きは長くなってしまったが、僕の様な物好きな人がいれば…もしくは今丁度下痢に襲われている人がいれば…少しは価値のある文章になるのかもしれない。
「ストーリー中ヨルハ部隊としてではなく、私情だけでの判断が可能な場面が多々あったが、2Bと9Sの意思が違えることは無い」
これは2週目に入ってようやく気付いたことだ。2Bと9Sは性格も考え方も、在り方までもが違う。そんな彼らがいくら大好きなお互いの選択とはいえ、自身の根幹や理念の核を揺るがす事は絶対にないと思うのだ。大好き…代わりの言葉を探したけれど、二人の関係にあてる完全な熟語が僕のボキャブラリーには残念ながら存在しなかった為、割愛させて頂く。
さて、では何故常に選択肢は一つだったのかというと僕は、これこそが「アンドロイド」つまり機会人形であることの率直な表現だと思っている。人形というのなら、感情は存在しないのだろうが、彼らアンドロイドには感情がある。「感情を持ってはいけない」という禁止は「持つことが出来る」からこそ出来たものだ。アンドロイド達はしっかりと自我を持っているにも関わらず、行動は全て第三者であるプレイヤーに任せるというのだ。これにはかなり衝撃を受けたし、残酷な事だと思う。組織の中でも掟に縛られ、あまつさえゲームの中でも強制的に拘束されているのだ。彼らに自由はない。
ヨルハ部隊は人類の為にひたすら任務を全うする…という描写が多々みられる。それに対してレジスタンス、つまりヨルハ部隊でないアンドロイド達はいくらか気楽な様に見える。家族を欲しがり、想い合う人をつくり、酒を呑み、感情を持ってはいけないなどという規則すら完全に無視している。挙句の果てには2Bと9Sに「すごい活躍らしいな。この調子で頑張ってくれよ」的な事を言うアンドロイドもいる。丸投げかよ。なるほど、電子ドラッグなんてもの使っててお咎めなしも当然のような気がする。設定資料集によれば「戦争時前線で薬物を使っていた人類の真似」らしいが、やはり彼らの認識はズレている。そもそも、手本にする時代がズレ過ぎているのだ。アンドロイドも人間も頭が足りなかったのだろうか。アンドロイドは建造物についての資料をあるだけ集めて「マンションも太古の遺跡もショッピングモールとやらも、どれが大切なのか分からないから全部保存しておこう」としているのだ。機械生命体に壊されて修復して、また壊されてのいたちごっととはいえ、大昔の遺跡や洞窟なんて機械生命体が手を出せば修復が不可能になるまで破壊出来るはずなのだ。「アンドロイドを殲滅させないこと」とそれは直結するのか、というのも疑問である。これはゲーム上仕方が無いとはいえ、修復のいたちごっこなのに進行中建造物を修理、又はその材料等を運搬しているアンドロイドは一人も見かけなかった。(あれ……?トロッコや列車等の乗り物も……?修……復……?)
「2Bと9Sを助ける為にデータを犠牲にする理由」
僕にはこれが分からない。
僕の頭が硬いからか、
「2Bと9Sを助けたい→データ犠牲にするで→あれっ?なんでデータが必要なんや?」
となってしまう。
ヨコオさんはプレイヤーに任せると仰っていたので、とりあえず僕なりに考えてみるけども、これは感情論で片付けて良いものなのだろうか。そこでぐるぐるぐるぐる考えさせようというヨコオさんの意地悪なのだろうか。
どう考えても、データのサルベージにデータが必要とされる意味が分からない。
さっき言った気もするけれど、前作と違いキャラ=プレイヤーでは無い。「キャラに対して何かしたいという気持ち」は共通ではあるが、キャラクターの在り方が違う。前作ではニーアではなく、カイネを見て選択肢を決めたが、今作では主人公たちを見て選択肢を決めた。(はずである)
あのシーンで、「2Bと9Sの未来を繋ぎたければデータを差し出せー!」と言われれば前作プレイ済の人は「どうぞどうぞ!」となるだろうし、そうでなくても「まぁいいかな……」と思ってしまうだろう。検索してみたら、「本当に消されるなんて!」と言っている人もいて少し驚いた。もしこれからデータを消すか(差し出すか)消すまいか(差し出すまいか)悩んでいる人がいたら参考までに、貴方がデータを差し出そうが二人とA2の運命は変わらない。僕達は第三者であり、彼らはあやつり人形なのだ。彼らを動かす者達はプレイヤーの数だけ存在する。
「フェードアウトの不快さ」
作中、"死"という形でフェードアウトするキャラクターがそれなりに存在する。完結、と取れなくもないけれど、そのキャラが紡いだのは本当に物語だったのだろうか?というキャラが。
例えばどうしても家族が欲しかった男性アンドロイドは、クエストの完了と共にフェードアウトしていった。彼にとっての一生は、アンドロイドとして終わらない戦いに身を投じる中、わずかな時間を憧れの家族と過ごせた。それは間違いでは無い。確かに、彼個人の物語が存在していた。 しかし、僕たちプレイヤーにとってはメインストーリーの踏み台と言ってしまっても良いように思える。2B、9Sでさえ見聞きした経験であるのに。ストーリーの構成上、沢山の伏線を散りばめなければいけない……というかそれはほとんどのゲームに相当する事ではあるが、回収してめっきり話が出てこないと言うのはかなり恐ろしい事だと思う。やっと回収された伏線についての説明があるかと思いきや、ばっさりカットを喰らう。僕には彼らが、プレイ中感じた正体不明の不快さに繋がっているように思えた。
結局書きたいことの半分もかけていないけれど、これ以上熟成させると公開するのが恥ずかしくなりそうだ。とりあえずの僕の気持ちを、少なくとも半年間抱き続けた感情をインターネットの海に吐き出そう。