RUIN

さよなら、月の

Heaven's_Feel 2章 根源の地の観測者

  •  ネタバレ有り

 

 本当に、あの1章を超える作品を見ることが出来るのだろうか。本当に、あのクオリティのまま2時間を過ごすことが出来るのだろうか。期待と、それから疑問を持って劇場へ足を運んだ。

 

 1章は登場人物へのマイナスなイメージを持たせないよう、士郎の主観的な表現が多いような気がした。("今はまだ")全員に平等な正義の味方が誰かを特別に良く、誰かを特別に悪く見ることは無いから。ヘイトが集まってしまうであろうシーンも、士郎という正義の味方の目を通す事で比較的心穏やかで居られたのだと思う。 

  2章では、前半は比較的戦闘シーンがぶっ続けで、前回のセイバー召喚時の様な思い切ったカットは特に無かった。

 そして、客観的な演出が多かった印象を受けた。セイバーオルタとバーサーカーとの戦いで、無駄に士郎やイリヤが手を出すこと無く、そのおそろしく強大な力を持つサーヴァント達の戦いを少し離れた場所で見ることで、セイバーオルタをより悍ましい存在の様に感じさせる。原作中の表現では、「いやどう考えてもお前もレンジ入ってるから!!」というシーンがどうしても存在している。正直2章でも、爆風の大きさ的にその距離でも怪しいのでは?というシーンがあったものの、前述の様にセイバーオルタの圧倒的な攻撃力を目の当たりにするという点では良かったのだと思う。セイバーオルタは絶対にメディアミックス補正で原作の何倍か強くなってた。(り、凛ちゃんが宝石使ってたんだよ……)  (対城宝具なのにとか言わない)

 戦闘終盤、イリヤは我慢出来ずにバーサーカーと叫ぶ。バーサーカーイリヤの声を聞き、覚醒したかの様に再び戦闘を続行する。対して、バーサーカー撃破後にセイバーオルタが士郎の元へ来た時に、士郎もセイバーと叫ぶが、セイバーオルタは応えてはくれない。彼女はもう彼の知るセイバーでは無かった。大きな対比と、小さな対比。沢山散りばめられているそれが、物語の大きさを語っているようだった。

 2章からは、士郎達が本格的に戦闘に巻き込まれ、サーヴァントという人ならざるものの力や在り方を実感する。体も心も、日常と平穏から遠のいていく。故に、思わず顔をそむけたくなってしまうシーンも多かった。冒頭、1章のラストで出会った黒い影が士郎を阻む。それに飲み込まれ(た?)そうになった時、これ以上無いくらい醜いものを見たというように恐怖で体を捩らせた。この時点ではまだ影が桜と似ているとは感じていないようだった。勿論士郎が桜に影の時のような反応をすることは無い。例え、桜が影だと気付いても。終盤で"桜の"影を見て、「気付くな」と自分に言い聞かせるシーンがある。気付いてしまってなお、彼女を抱き締め、知らない振りをする。序盤の反応を見た私達からすれば違和感しか無いと思う。敢えて例えるのなら士郎のあれは、ゾンビ映画で一番最初に転んで襲われるモブキャラだ。ありえないくらい叫ぶ、主人公の親友の友達ポジションの。そのモブキャラがゾンビを抱きしめられるかという話である。HFでは特に、それくらい狂っている。「桜だけの正義の味方」という言葉の重みを嫌という程突き付けられて、このロボットはどうしてこんなに必死に人間の物真似をするのだろうかと頭が痛くなる。

 

 それから、間桐慎二の掘り下げだ。つくづく、繊細な演出に惚れ惚れした。元々ファンの間でも好き嫌いの激しかったキャラだが、勿論固定ファンもある程度いるし、原作・今までのアニメやマンガのメディアミックス……私はどれも見ても嫌いにはなれなかった。そして劇場版第1章。むしろ、もっと好きになれた。今まで公開されることのなかったシーン。言葉は少なく、それ以上に目で交わされる会話。自分勝手で皮肉屋で、でも影では人一倍努力をしている慎二……ちなみに劇場版では、途絶えた間桐(マキリ)をなんとか継がせようと奔走する姿が少しダーティー__なんというか、魔術と向き合うにあたっての過酷な面がピックアップされていたが、コミック版では比較的楽しそうな面が見られる。幼い頃の彼が現在に至るまで、併せて見てみると面白いかもしれない。

 

以下は1章を見た時点での慎二と士郎の関係性のメモ。

大切なもののランキングを1~10で表すとしたら、多分慎二は1か10しかないんだと思う。たくさんの1と、ほんの少しの10で世界を作り上げている。他の人達は1から10までバランスよく割り振る。1からランクアップしていって、ずっと1のままのものは忘れ去られて、また新しい1が出来る。慎二に近づきたい女の子は、その1に入れた事が嬉しくて、きっと私もいつかは10になれるんだとそう思う。でもそうではなくて、ずっと1のまま。慎二は自分の中のランキングを一番最初に決めてるんじゃないのか。きっと、文化祭の仕事を手伝ったあの日から士郎は慎二にとっての数少ない10、だった。士郎もそれを分かっていたような雰囲気がある。士郎もまた慎二を大切に思っていて、慎二もそれを分かってた。でも、たったひとつだけすれ違いがあった。士郎の世界は、10だけで出来ていた。元々1なんか無い。全てを救おうとする人間が物事にランキングを付けるわけが無かった。

 

 例えば、仲良くしていた女の子に告白されて付き合ったものの、その男の子には彼女が沢山いて、その男の子が言うには「僕は全員平等に愛しているんだ!」みたいな。しかもそれが本当。同性同士の問題を異性関係に置くと違和感あるかなと思ったけど、そんなに無いじゃん……

 

 本題に戻るが、私はなんだかんだで間桐慎二の事を嫌いになれずにいた。しかし2章、お前だよ!お前お前お前!前述のように、客観的な演出になっているせいで、士郎の正義の味方フィルターが外れてしまっている。女を傷つけ、実力不足をサーヴァントに押し付け醜い言い訳をする慎二を好きのままでいられるファンが一体どれだけいたのだろう。Fateの登場人物というのは、良くも悪くも、揃いも揃って我慢が得意な人が多いと思う。士郎、凛、桜、ライダー……彼を取り巻く人達は何らかの形で我慢をしているというのに、いとも簡単にその限界値を超えプッチンしてしまう慎二がとびっっっきりヒールに描かれている。その後、凛が遠坂の管理者として桜を殺すと決意する時。同じヒールでも印象は180度違う。その上、そもそも桜が暴走したのは士郎を助ける為に凛がアーチャーを従えて突入。正規ヒーローからヒールへの暗転……脚本家の指揮はどうなっているんだ。天才にも程がある…… 

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  一応慎二の弁護をしておくと、士郎、凛、桜が自分には到底理解できない話をしている。それが彼にとってどれ程苦痛だったのだろう。ここの蚊帳の外に出されている演出が最高に上手かった。慎二が嫌いなものは「無条件の幸福」。彼は士郎がどれだけの鍛錬を積み重ねてこの戦いに挑んでいるかを知らない。凛がどれだけ魔術と向き合い、戦ってきたかを知らない。背骨にナイフを突き刺すような鍛錬も、魔術刻印の拒否反応を抑える為の努力も、遠坂としての生き方も。……どうしてアイツは、魔術師でも無いのにマスターなんだ。アイツはご立派な家の出なのだから、強くて当然だろう。いい教育を受けて、マスターになる為に育てられて……寧ろそう思っていたことだろう。彼の嫌いなものそのものだ。……しかし。自分は桜の力を借りて魔術書を使うことでしか魔術を扱えないのに、いきなり自分を殴ってきた士郎には間違いなく魔力が宿っていた。魔術師でないと思っていたかつての友人は、魔術を扱うものだった。それを知った時の彼の心情を理解出来るものがいるだろうか。

 1章を見直して分かったのは、桜が暴走するきっかけになったイヤリング、ライダーが士郎を助けてる間に慎二が作ってた。一瞬笑っているようにも見えるけど、やっぱり顔をしかめる。どういう意味なのだろう。桜への贖罪のつもりなのか、やはり自らの境遇への憤りなのか。自宅で桜を襲おうとした時も、「僕とどれだけ醜く交わったか」という表現をしていた。桜へ怒りなり何なりを抱いていれば、「どれだけ醜く乱れたか」だとか「どれだけ醜く喘いだか」といった表現になるのではないだろうか。わざわざ"僕と"なんて言葉をつけて"交わる"と言うことでお互い様だと言うような物言いに、桜本人への怒りはあまり感じられない。図書室でも「みんな桜のことばかり(要約)」と言っているように、「自分がこんな思いをするのはお前がいるからだ、みんながお前に失望すればいいんだ」みたいな幼稚園児みたいな発想があるように思える。(間桐シンジくんは八歳だし、仕方ないね……) 

 ちなみに言峰が桜を助けた時に、魔術刻印を全て使ったと聞き凛が頭を抱えるシーンがある。原作では詳しい説明があるが、劇場版では省かれていた。魔術刻印とはその家の歴史そのものなのだ。生涯をかけて育て、自分の子孫の為だけに残すもの。それを言峰はいとも簡単に全て使ってしまった。もう少し掘り下げて欲しかったとも思うけれど、頭を抱えるという事で重大さを表現出来るのはアニメならではの強みだ。それを踏まえてライダーへ放った「だってあの人、私より弱いもの」発言……桜は士郎が桜を殺そうとした翌日、ライダーに「先輩を殺さないでくれてありがとう」とも言うけど、なにか違う、ライダーへの感謝というよりも独白に近いもののように感じた。それから「兄さんは約束を破りました。先輩は殺さないって言ったじゃないですか」というセリフ。正直、何を言っているんだろう、と思った。他ルートを見てきた私達からすれば、ライダーに負けてしまう士郎とセイバーで無いこと、士郎の潜在能力が嫌という程分かっている。加えて桜自身、「先輩は、きっと私たちの誰より強い」と言っている。ライダーの正式なマスターである彼女が、慎二が士郎を殺せるだなんて思うわけがないのだ。それなのにわざわざそんな約束をしたのは一体何故なのだろうか。

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 桜(影)の捕食シーン。桜には意識が無い、という表現を今までに無いメルヘンワールドで描きあげた。桜ファン大歓喜の可愛いドレス。醜い影を、綺麗だと喜んで身に纏う。それを纏うことを良してしまったが故に影に呑み込まれることになってしまったのかもしれない。次から次へと、誰に言われるまでもなく捕食を進めるそれはエリザベート・バートリーの「誰も教えてくれなかったじゃない」に通ずるものを感じた。

 

 1章の時から感じてはいたけど、空が強調された演出が多い。アーチャーが影に飲み込まれた後、空がこれまでに1度も無かった深紅と青に染まった。本当に驚いた。まるで、この街・冬木の行く末を描いているようだった。これは1章を見ていた時の空についてのメモ。

紫の空が多くなっていって、"桜の街"感が出てくる。

さっきの紫の夕暮れのすぐ後、セイバーと士郎の距離が縮むシーンがあるんだけど、夜が開けていって青が多くなるの本当にエモい。セイバーの為に用意された空。

 

冬木は見ている。この街の未来と、マスターの最期を。根源に至るその日を掴むのは霊脈だけでは不可能だ。だからこそ、彼らの歩みを、戦いを、祝福しているのかもしれない。

 

書くまでもないと思ったけど一応……本編とは関係ないこと

エンドロール、彩色・蒼月タカオ で泣かなかった人いる?絶対いないと思う……あと花の唄って最初にノイズ?みたいな音がある気がする。I beg you、夢の中のメルヘンワールドからの黒桜の流れで持ってきたのやばくない……化けすぎだろ……全体的に桜の在り方、黒桜の本質をそのまま歌詞にした曲だけど原作では終盤凛に諭されるんだよね。花の唄ではサビまでが影の心の内、サビからが黒桜の本音みたいな印象があるし最終章の曲では凛への感謝みたいな歌詞があってもおかしくない……

 

 

 2時間はあっという間に過ぎてしまった。奈須きのこ公認の桜研究家、須藤監督にしか出来ない作品だった。「そういえば原作はエロゲだよねw」なんて言われていた作品にここまで絶対的にエロの必要性を感じさせるとは。……良くも悪くも、メディアミックスとは取捨選択で出来ている。原作ファンの思いを受け止め、完璧な形で完成させたスタッフに最大限の敬意を。